映画とアートの意外な関係 NEW

PICTURES IN MOTION PICTURES

殺しのドレス(Dressed to Kill)1980年 PART2

全部ディアナが見ていた

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ディアナ像が結節点であった理由を掘り下げてみよう

内弁慶という言葉があるように、外面(そとづら)と内面が違うひとが世の中にはいる。

社会的には穏やかな紳士とみなされている男が家庭では暴君であったり、清楚な顔立ちの淑女が実は淫乱だったりするのは珍しいことではない。程度の差はあれ、だれにでも内と外の違いはあるだろう。《殺しのドレス》はそうした人の二面性を柱にしたミステリーを描いている。

映画の中で、外はメトロポリタン美術館、中はフィラデルフィア美術館、つまり内と外が違う美術館はまさに二面性のメタファーになっていて、ディアナ像はその結節点としての役割を与えられていた。

ここでひとつ疑問が起こる。

なぜディアナ像でなければいけなかったのか。

もちろん、ディアナ像が両方の美術館に展示されていること、つまり内と外を結ぶ結節点であることは大きな理由だが、もっと大きな理由がある。

そもそもディアナとは?

そもそもディアナは処女神であり貞節の神でもある。と同時に、自身の裸体を見たアクタイオンに犬をけしかけて殺してしまう残酷さも秘めている。ティツィアーノクラナッハ(父)は、沐浴しているディアナの裸体を見てしまったアクタイオンが雄鹿に化身させられ、殺される悲劇的なシーンを描いている。つまりディアナ自身がそもそも貞節と残酷性という二面性をもった存在であることを、まず頭に入れておこう。

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(左)ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《ディアナとアクタイオン》185✕202cm 1556年から1559年 カンバスに油彩 ナショナル・ギャラリー(ロンドン)

(右)ルーカス・クラナッハ《ディアナとアクタイオン》50✕73cm 板に油彩 1518年 ワズワース・アテネウム美術館

二人の猟色家を手玉に取ったファム・ファタル

ディアナ像が目撃した事件とは、世紀の犯罪として今も語り継がれる「スタンフォード・ホワイト殺人事件」である。事件の登場人物は建築家のスタンフォード・ホワイト(Stanford White, 1853-1906)、モデルのイヴリン・ネズビット(Evelyn Nesbit, 1884-1967) 、大富豪のハリー・ソウ(Harry Thaw, 1871-1947)の三人。

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photograph of White by George Cox, ca. 1892

スタンフォード・ホワイトは19世紀アメリカを代表する建築家。ニューヨークやワシントンの公共建築を多く手がけ、セオドア・ルーズベルト大統領の椅子を設計したりもした。2017年、彼が設計した豪邸をビヨンセとジェイ・Jが購入したことで再びその名前が世間を賑わしている。

ホワイトは歴史に名を残す建築家であり当時から著名であったが、一方で好色で女性に目がなく、女優や芸術家をめざす若い女性たちを次々と喰い物にしていた。そのなかにイヴリン・ネズビット(Evelyn Nesbit, 1884-1967)がいた。

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ネズビットは当時ニューヨークで最も話題になったモデルであり、ミュージカル『フロラドーラ』のコーラスガールに抜擢されたことがきっかけとなり、その可憐な顔つきや清楚なイメージで人気を得た。写真(1901年に撮影)からも見て取れるように、118年前とは思えない現代的な顔立ちの美少女だった。

ハーパーズ・バザー誌やヴァニティ・フェア誌の表紙を飾り、コカ・コーラプルデンシャル生命保険などのイメージガールを務めたネズビットは最初期のピンナップ・ガールだった。後年ルーシー・M・モンゴメリが『赤毛のアン』(1908)を執筆するときにネズビットをアンの容貌のモデルにしたことはよく知られている。

ネズビットが16歳、ホワイトが47歳のときに二人は出会う。1901年のことだった。ホワイトとの出会いは、運命的なものだったのかもしれない。ホワイトと付かず離れずの関係にあった1903年、ネズビットは大富豪ハリー・ソウに見初められ、1905年に結婚するが、ソウは妻と以前関係があったこの建築家に恨みを持つようになる。

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ハリー・ソウも一筋縄ではいかない男だった。父は鉄道・石炭成金で男爵、その資産を引き継いだドラ息子である。少々精神的に異常があり、映画《マジック・クリスチャン》(1969)でピーター・セラーズが演じたグランド卿のように、金に明かして常識はずれな悪ふざけを実際に行っていたとんでもない人物だ。さらに、少女を鞭打つ趣味をもち、200人以上の10代の少女を売春宿で鞭打ったとされる病的な性的嗜好の持ち主でもあった。

そして運命の日が訪れる。

1906年6月25日の夜、「Mam'zelle Champagne」の初演オープニングナイトに社交界の名士がマディソン・スクエア・ガーデンの屋上劇場に集まっていた。もちろんペントハウスに居を構えているホワイトも顔を出していた。ソウはスタンフォード・ホワイトに近づき、彼の頭を撃ち抜いた。ホワイトはテーブルに前のめりになったが、ソウは続けて2発を打ち込んだ。

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事件を報道する当時の新聞記事。

この事件は全米を震撼させた。何百人もの目撃者の前で起こった銃による殺人。しかも犯人は大富豪である。

「富める者は長い間、正義と高いモラルの体現者と見なされてきた。…しかし「ホワイト殺人事件」のスキャンダルがこのイメージを一変させてしまった」とJ・R・ナッシュは『運命の殺人者たち』の中で、富裕階級に対する幻滅が生じたことを指摘している。のちに報道機関は「世紀の試練」と呼ぶようになった。

映画になった殺人事件

スタンフォード・ホワイト殺人事件は古典的な三角関係のもつれによる情痴事件として、しかもミュージカル上演中に観客の目前で起こった殺人というドラマ性によって全米で大きな話題となった。その美貌から当時人気絶頂の女優をめぐっての、鉄道成金の放蕩息子と高名で社交界の人気者だが好色な建築家の争い、と役者も揃っている。大衆が喜ぶ格好のネタとして映画界が放っておくわけがない。

1955年にリチャード・フライシャー監督によって《夢去りぬ(原題:The Girl in the Red Velvet Swing)》が、1981年にミロス・フォアマン監督*1によって《ラグタイム(原題:Ragtime)》が、そして2007年にはクロード・シャブロル監督による翻案ドラマ《引き裂かれた女(原題:La Fille coupée en deux)》が、まるではかったかのように四半世紀ごとにそれぞれ製作・公開されている。

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夢去りぬ》では、ビリー・ワイルダー監督の《失われた週末》(1945)でアカデミー主演男優賞を受賞したレイ・ミランドがホワイト役を演じている。ソウはファーリー・グレンジャー、ネズビットはジョーン・コリンズが演じている。

ネズビット役には当初マリリン・モンローの起用が検討されていたようだが*2、実現していれば映画の話題性や評価も変わったかもしれない。なにしろこの頃のモンローは《帰らざる河》(1954)、《七年目の浮気》(1955)、《バスストップ》(1956)と立て続けに話題作に出演し、全盛期にあったのだから。 

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ラグタイム》はエドガー・ローレンス・ドクトロウの原作をミロス・フォアマン監督が映画化した作品。スタンフォード・ホワイトをノーマン・メイラーが、ソウをロバート・ジョイが、ネズビットはエリザベス・マクガヴァンがそれぞれ演じている。

実際の事件とその後の裁判を骨子に物語は進むが、ディアナ像の作者がホワイト自身であったり、ディアナのモデルがネズビットであったりと史実の改変がある。この改変は、艶めかしいディアナ像のモデルをネズビットだとすることで、彼女と結婚したソウを怒らせ、殺意を抱かせるためのシナリオ上の工夫であり、創作以外の何物でもないが、映画が真実だと勘違いしているひとも多いことだろう。

しかし、いかにホワイトと親密であったとしても、ネズビットがモデルのポーズをとることは不可能だった。1891年に最初のディアナ像が完成したとき、ネズビットはわずか6歳か7歳だったのだから。フォアマンの《ラグタイム》は評判を呼び、第54回アカデミー賞では8部門で候補に挙がったが、残念ながら無冠に終わった。

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《引き裂かれた女》ではホワイトをモデルにしたプレイボーイの作家シャルルにフランソワ・ベルレアン*3、ネズビットに対応するお天気キャスターのガブリエルにリュディヴィーヌ・サニエ、ソウに対応する大富豪の放蕩息子にはブノワ・マジメルが演じている。

マジメルが演じた放蕩息子の名前はポール・ゴーデンス(Paul André Claude Gaudens)で、この名前はディアナ像の作者であるオーガストス・セント=ゴーデンス(Augustus Saint-Gaudens)の名前から来ているのは間違いない。史実を知っているひとはニヤリとするか、もしくは混乱するだろう。

ディアナのモデルは誰か?

ディアナ像の話題に戻ろう。ネズビットをモデルとした映画の設定もあったが、実際のディアナ像のモデルは二人いる。ひとりはボディのモデルで1890年代を代表するアーチスト・モデルであるジュリア・ベアードJulia "Dudie" Baird(1872-1932)。当時17歳だったジュリアは完全なプロポーションの持ち主で、まさに女神にふさわしい肢体だった。

彼女はアメリカ美術におけるトーナリズムを代表する画家としてホイッスラーと並び称されるトマス・デューイング(1851〜1938)や、アレクサンドラ・カバネルに師事した画家ケニオン・コックス (1856~1919)、さらにはアルフォンス・ミュシャ(1860~1939)のモデルをしていた。

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トマス・デューイング《Portrait in Blue(Julia Baird)》1896年フリーアギャラリー

残念ながら彼女のヌードを描いた絵画や写真はないが、早世したアメリ印象派の画家デニス・ミラー・バンカーが、その死の直前に描いた「鏡を見る女性」の絵からは、ジュリアの均整の取れた肢体をうかがい知ることができる。フィラデルフィア美術館のディアナ像と比べてみると、その見事さを感じ取れるだろう。 

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              Dennis Miller Bunker《The Mirror》1890年

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もうひとりは顔のモデルで、セント=ゴーデンスのお気に入りのモデルの1人であり彼の愛人でもあったダビダ・ジョンソン・クラーク。彼女をモデルにした頭像とディアナ像の顔を比べてみるとなるほどと肯ける。

全部ディアナが見ていた

ディアナ自身が貞節と残酷性の二面性をもった存在だが、そのディアナが見たのはネズビットをめぐってのホワイトとソウの愛憎の果ての殺人事件だった。まさに貞節と残酷性のドラマがディアナの真下で行われたのである。

興味深いことに、神話によるとディアナを祀る神官は決闘によって決まる。前任の神官を倒した者が新しい神官を引き継ぐしきたりがある。これもまたホワイトとソウの争いを暗示している。ソウはホワイトを殺してネズビットを祀る神官になったのだ!

そう考えれば、ディアナ像のモデルをネズビットに設定した《ラグタイム》は、まことに事件の本質を突いた映画だったといえるだろう。

*1:カッコーの巣の上で》(1975)と《アマデウス》(1984)で2度アカデミー賞監督賞を受賞した

*2:https://www.imdb.com/title/tt0048119/trivia

*3:オリヴィエ・マルシャル監督の《パリ、憎しみという名の罠(原題:Carbone)》(2017)で主演。この邦題は《あるいは裏切りという名の犬(原題:36 Quai des Orfèvres)》(2004)以来のマルシャル監督作品に付けられるちょっとキザな邦題の伝統を引く。

殺しのドレス(Dressed to Kill)1980 

外観と内部が違う美術館で外見と内面の違う男女が出会うお話

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監督・脚本   ブライアン・デ・パルマ
出演者     ケイト・ミラー(アンジー・ディキンソン)、ロバート・エリオット
        (マイケル・ケイ ン)、リズ・ブレーク(ナンシー・アレン)、ピー
        ター・ミラー(キース・ゴードン)

人間の内と外の不思議さと矛盾

性的な欲求不満の人妻が美術館で出会った男と情事に及び、その後殺される。目撃者の娼婦と被害者の息子が協力して犯人を見つけ出す。大筋をこう書けば通俗的なテレビドラマのようで身も蓋もないが、実は洗練された映像の暗喩がこの映画の魅力になっている。

1976年の《キャリー》で一躍脚光を浴びたブライアン・デ・パルマ監督の出世作殺しのドレス》(1980年)は、ヒッチコック作品へのオマージュが溢れた作品としての評価が定着している。*1

映画の冒頭、シャワールームでケイト(アンジー・ディキンソン)はシャワーを浴びている。突然その背後に逞しい男が現れ、ケイトの身体に手を這わせる。男の手とケイトの顔が交互に映される。恍惚とした表情のケイト。シャワールームはガラス張りで、目の前で夫マイク(フレッド・ウェバー)が髭を剃っているというのに!

でも、これはケイトの夢想だった。ケイトは夫との性生活に不満を抱えており、精神分析医ロバート・エリオット(マイケル・ケイン)のカウンセリングを受けている。

シャワーのシーンは映画のラストにも登場し、リズ(ナンシー・アレン)が何者かにナイフで襲われる。映画の最初と最後がシャワールームという設定は、映画構成の工夫であるとともにヒッチコックの〈サイコ〉での殺害シーンを想起させる仕掛けであり、ヒッチコックへのオマージュとしてたびたび指摘されている。

しかしデ・パルマ監督のヒッチコックに対する思いは、単にシーンの模倣に現れているわけではない。この映画ではケイトの性に対する強迫観念とエリオット医師の殺人への強迫観念が作品の主題の根幹にあることからもそれは窺える。性のことがいつも頭のどこかにつきまとったり、自分では止めようもなく殺人を犯してしまったりする人間の不思議さ、矛盾、弱さ。これらはヒッチコック作品にも通じる重要な部分である。

さらに《殺しのドレス》が優れているところは単にプロットだけではなく、人間の内と外の不思議さと矛盾を映像の暗喩を通して描いているところにある。

外観と内部が違う不思議な美術館 

映像の暗喩とは何か。
その秘密を解く鍵はケイトが訪れた美術館にある。エリオット医師を訪れた後、ケイトは義母と夫との待ち合わせ場所であるメトロポリタン美術館に向かう。ここで昼食をとる予定だ。ケイトは2階の展示エリアに続く大階段を昇っていくが、目の前にディアナ(ダイアナ)の彫像がある。(写真1)ディアナはローマ神話の狩りの女神。ケイトは何を狩りに行くのだろう。

f:id:duchamp1:20190404155543p:plain写真1               写真2 

だが、ちょっと待てよ、何かがおかしい。メトロポリタン美術館にこのディアナ像はあるが、こんな大階段の上にあるはずはない。彫像があるのはアメリカ美術の広間であり、その真ん中の高い台座に設置されていなければならない。(写真2)

展示場所が変わったのだろうか。なぜこんな階段の上に?と疑問が溢れてくる。

実は、この大階段はメトロポリタン美術館ではない。

これはフィラデルフィア美術館のエントランスであり、ディアナ像は2階踊り場の正面に設置されている。つまりケイトが入った美術館は、外観はメトロポリタン美術館だが内部はフィラデルフィア美術館だったのだ。

実に奇妙な事が起こっている。しかし、それに気づく人がどれほどいるだろうか。少なくともニューヨークとフィラデルフィアにある両方の美術館に行ったことがなければ見過ごしてしまうだろう。

デ・パルマ監督は、脚本を書き上げたあと、ニューヨークの街をロケハンして回った。台本にはMUSEUMとしか書かなかったが、ロケハンしてメトロポリタン美術館が気に入った。しかし、メトロポリタン美術館では、正面入り口しか撮影の許可が下りず、美術館の内部はフィアデルフィア美術館で撮影することになった。事の経緯はこのように説明されている。

事実関係はそうだろう。撮影の成り行きでそうなったのかもしれない。それにしても、外観と内部が違う場所で、やはり外見と内面が違う男と女が出会うというシチュエーションが生まれたのは、偶然にしてはできすぎている。

なぜなら、この映画《殺しのドレス》は性同一性障害で二重人格の人物、精神分析医のエリオットが殺人犯なのだから。男の人格がエリオットで、女の人格がロビー。エリオットが男性として興奮した時に、ロビーが目覚めるという設定だ。

そして被害者も、外見は貞淑な人妻なのに実は出会った男とすぐにセックスしてしまう二重人格の欲求不満女なのだから!

ケイトの視線でギャラリー・ツアー

f:id:duchamp1:20190404155451p:plain《Reclining Nude》トミー・デイル・パルモア 1976       《West Interior》 Alex Katz 1979  

美術館で待ち合わせの時刻が気になってケイトは時計を見るが、ケイトがソファに座って見ているのはトミー・デイル・パルモア(Tommy Dale Palmore)の《Reclining Nude》とポートレイトの大家アレックス・カッツの《West Interior》。彼女が見知らぬ男と出会うのはこの絵の前だ。(ちなみにデ・パルマの台本では大きなルソーの絵の前となっている)

ケイトは隣りに座った男が気になって仕方がない。何とか男の気を引こうと試みるが、男は立ち上がり去って行ってしまう。

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絵の前で座って待ち合わすシーンもまたヒッチコックへのオマージュだろう。《めまい》(1958)でマデリン(キム・ノヴァク)がパレス美術館(California Palace of the Legion of Honor)でカルロッタ・バルデス肖像画に見入っているシーンがある。《殺しのドレス》では現代的な女性像だが。

ケイトは男のあとを追って美術館の中を探し回る。カメラ・ワークの妙は、男を探すケイトの視線がそのままギャラリー・ツアーになっていることだ。観客は映画を通してフィラデルフィア美術館の名品を見るように仕掛けられる。

まずミロの部屋からケイトは眺め回す。男はいない。
次に焼成鋼板にシルクスクリーンプリントされたジェニファー・バートレットの《2 Priory Walk》、そしてモーリス・ルイスの《Beth》、地元作家であるポール・キーンJRの《Untitled》などの名品が次々にケイトの背後に映し出されている。観客はケイトとともに男の行方を追いながら、美術館の名作を見て回るという趣向だ。

f:id:duchamp1:20190404160830p:plain《Painting》ジョアン・ミロ 1933          《2 Priory Walk》ジェニファー・バートレット1977

モーリス・ルイスの《Beth》が映ったとき観客はドキッとする。血のような色合いのカーテンの向こうに、掌や身体の部分が影絵のように透けて見える絵だ。

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                《Beth》 Morris Louis 1959-1960

映画ファンなら《サイコ》のシャワールームでの殺害シーンを暗示していることに気づくだろう。しかもモーリス・ルイスの制作手法は傾けたパネルに絵の具を垂らすというもの。赤い絵の具は血のように滴って見えるのだから。

アート作品は設置された場所や状況によって見え方が違ってくるものだが、この映画ではそれが不気味に実感できる。

それにしてもギャラリー・ツアーは不自然なほど長く、9分間にも及ぶ。
撮影許可の交換条件として美術館のPRシーンを撮ること、という裏条件でもあったのかと思うほどだ。このシーンを見て美術館に行ってみたいと観客が思ったりしたら、それこそ思う壺だろう。

実際のところ、トリップアドバイザーのホームページのニューヨーク・シティ観光情報の口コミ欄には「映画『殺しのドレス』を見てメトロポリタン美術館に行きたくなった」という声も上がっているほどだ。もちろんメトロポリタン美術館へ行っても映画で見た絵を見ることはできないが。

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黒づくめの殺人鬼

ケイトは男を追うのをあきらめて美術館を出る。いや、あきらめたのではなく、外まで追いかけてきたのかもしれない。ケイトが出てきた場所はメトロポリタン美術館の外観に戻っている(白いコートの女性がケイト)。このあと停めてあったタクシーの窓からケイトの手袋をひらひらさせている男が映り、ケイトは車の中に引きずり込まれる。

その直前、黒いサングラスに黒いコートを着たブロンドの女性が一瞬映る。このあとケイトがエレベータの中で再会したとき、それは殺人鬼だったとわかる。しかしほんの一瞬のことで、しかもケイトと言葉を交わすわけでもなく映り込んだ人物のような扱いだから、この映画を一度見ただけではこのサインに気づく観客はすくないだろう。

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黒衣の殺人犯にもデ・パルマ監督のヒッチコックへのオマージュが見られ、《ファミリー・プロット》(1976)でカレン・ブラックが演じたフランのファッションそのままなのはご愛嬌。

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(上)マイケル・ケインの女装(下)《ファミリー・プロット》でのカレン・ブラック

マディソン・スクエア・ガーデンを飾る金色の女神

この映画ではディアナ像が重要な役割を果たしている。ディアナ像はメトロポリタン美術館フィラデルフィア美術館を結ぶオブジェであり、映画の主題でもある内と外の世界を結ぶ手がかりとして機能している。

作者はオーガストス・セント=ゴーデンス(Augustus Saint-Gaudens,1848-1907)。19世紀アメリカ美術を代表する彫刻家のひとりだ。一般的には彫刻家としてよりも、20ドル金貨の作者として著名かもしれない。自由の女神や鷲がレリーフされている20ドル金貨は別名「ダブル・イーグル」とか、作者の名をとって「セント=ゴーデンス」とも呼ばれている。

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こちらの写真に注目してみよう。19世紀末のマディソン・スクエア・ガーデンを写した写真だが、おやおや、てっぺんにあのディアナ像が立っているではないか!これはどういうことだろう。

種明かしをすると、ディアナ像はもとから美術館にあったのではない。ゴーデンスのディアナ像は1890年にスタンフォード・ホワイトが設計したマディソン・スクエア・ガーデンの屋上を飾る風見として造られた作品だった。

像の頂部は地上347フィートに達し、これは当時のニューヨーク市では自由の女神を抜いてもっとも高い。1891年に最初に設置されたバージョンは建物に対して不釣り合いに大きく、またその重量が災いして風を受けてうまく回転しなかった。

そこで1893年にちょっと小振りなセカンドバージョンに取り替えられる。小振りと言っても作品の高さは13フィート、重量は1,500ポンド。最初のバージョンの高さ18フィート、重量1800ポンドに比べれば小さくなったが、それでも当時ニューヨークで一番天国に近い場所にそびえ立った。昼間は太陽の光を受けて金色に輝き、夜になると電気で照らされたディアナ像は、遠くニュージャージーからも見ることができたという。

もう一度フィラデルフィア美術館のディアナ像を見てみよう。

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1925年にマディソン・スクエア・ガーデンが解体されたことに伴い寄贈されたディアナ像は大階段の上にある。美術館を訪れた人びとはディアナ像を見上げる。まさにかつてのニューヨーカーがそうしていたように。

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メトロポリタン美術館に展示されているディアナ像はハーフサイズのキャスティングである。彫像は台座の上に設置されることが多いが、それにしてもこの台座はちょっと高すぎないだろうか。これでは見るときに下から見上げなければならないし、第一作品がよく見えない。美術館の展示方法としては明らかにおかしい。

わざわざこんな高いところに展示したのは理由がある。それは、ディアナ像がもともとはニューヨークの街を見下ろす高さに設置されていたことへの思いが込められているように思える。

自分が住む街の一番高いビルのてっぺんに、住民を見下ろすかのように女性像が立っている。しかも一糸纏わぬ女性が片足を上げて。

いかに芸術作品であるとは言え、そうした存在はこんにちの私たちにとっても悩ましいが、19世紀末の市民にとっては更に心穏やかではなかったことだろう。とりわけ5番街の大邸宅の住民にとっては。頭上から私生活を覗かれているような気分になり、不愉快極まりなかったに違いない。

実際、彼女のヌードはニューヨーク悪徳抑制協会(New York Society for the Suppression of Vice)の責任者であるアンソニー・コムストック(Anthony Comstock)を悩ませた。

倫理感あふれるアンソニー・コムストックが率いる市民たちは、像を取り下げるよう要求したが、まんざらでもない人々は太陽の光の中で輝くディアナを見るために群がったとアトラス・オブスクラ*2は伝えている。

こうして裸の女性像は人びとの怒りを買うとともに他の人たちを喜ばせもしたが、ニューヨーカーに嫌われた像として広く知られるようになった。世評を気にしたホワイトはディアナ像を覆い、秘所を隠すようにしたが、それはすぐに風で吹き飛び、人びとを喜ばせることになった。

しかしこのあとホワイトには全米を揺るがす数奇な運命が待っていた。

*1:シャワーシーンが重要な映画だった《キャリー》でデ・パルマ監督はデビューしている。

*2:オンライン・マガジンhttps://www.atlasobscura.com/

ウォール街》(原題:Wall Street)1987年

ウォール街のカリスマ投資家はオフィスにピカソとミロを飾る。

f:id:duchamp1:20190327144439p:plain監督:オリバー・ストーン
脚本:オリバー・ストーン、スタンリー・ワイザー
出演:マイケル・ダグラス(ゴードン・ゲッコー)、チャーリー・シーン(バド・フォ
   ックス)、マーティン・シーン(カール・フォックス)、ダリル・ハンナ(ダイ
   アン・テイラー)
音楽:スチュアート・コープランド

 

1985年、プラザ合意後の不況に沈むニューヨーク。ジャクソン・スタイナム社の新米証券マンのバド(チャーリー・シーン)は、ウォール街のカリスマ投資家ゴードン・ゲッコー(マイケル・ダグラス)と取引をするのが夢だった。まんまとゲッコーに取り入り、違法なインサイダー取引で信頼と大金を勝ち取っていくが…。

映画公開の2ヶ月前、のちにブラック・マンデーと称されるニューヨーク証券取引所の株価大暴落があり、世界中が恐慌の恐怖に陥っていた時期にこの映画は公開されている。シェークスピア劇のように名台詞が頻出する映画だが、“Greed is good ”(強欲は善なり)は世相を反映した言葉として特に有名な台詞になった。

インサイダー取引に株価の操作、巨額の資金を使った金融ゲームと化した株式取引の世界の実態を描いた映画として《ウォール街》は評価されているが、80年代はアート市場が成長しアート作品が商品になった時代でもあり、実際《ウォール街》にはさまざまなアート作品が登場する。 

ゲッコーもバドも虚富を得た投資家たちはアート作品を買い求め自室に飾っている。それはなぜなのか、そしてどんな作品を?

アートは富の象徴?

ゲッコーのオフィスにはミロとピカソの作品が並んで掛けられている。冒頭の写真のゲッコーの左に見えるのがミロ、右がピカソの作品だ。誰もが知っている美術史上のビッグネームだから、富の象徴としてひじょうに分かりやすい。「金は儲けたり失うものではない。手から手へ渡るだけだ。手品のように」この絵を前に、バドに向かってゲッコーは言った。そして、10年前に6万ドルで買った絵画だとミロの絵を指しながらゲッコーはこう言う。

「今日売れば60万ドル。手品が現実に変わった!」

Gordon: This painting here. I bought it ten years ago for $60 000. I could sell it today for $600 000. The illusion has become real….

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(左)ジョアン・ミロ《Paysage》1974, oil on canvas, 84 5/8 x 68 1/8 in. (215 x 173 cm.)データはCHRISTIE’Sのサイトより (右)パブロ・ピカソ《Personnage》1970 ヤマザキマザック美術館蔵

ピカソ作品を映画の小道具として提供したニューヨーク5番街のフィンドレー・ギャラリー(FINDLAY GALLERIES)は1870年に設立、実にメトロポリタン美術館ボストン美術館の開館と同年に設立された老舗中の老舗ギャラリーである。

作品《マタドール(Personnage)》はその後売却され、今はどこが所蔵しているかと言うと、なんと名古屋市にあるヤマザキマザック美術館だという。映画の公開後に購入されたことは間違いないのだが、創業者の山崎照幸は《ウォール街》をご覧になり、ゲッコーの姿に成功者としての自分を重ねたのだろうか。

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写真は https://ameblo.jp/dream-reiko/entry-10945346630.html

一方、ミロの作品を提供したペイス・ギャラリーも世界有数のギャラリーで、現オーナーのマーク・グリムシャーは2012年にフォーブスが発表した「最も影響力のあるアート・ディーラー」でトップ3に選ばれている。

1985年当時に、ゲッコーはこのミロの作品を60万ドルで売れると豪語したが、実際には2001年6月25日にロンドンでクリスティーズのオークションにかかり、355,750英ポンドで落札されている。映画は現実になったのだ。

 このオークション時、ミロの作品の出所はパリに本拠をもつマーグ・ギャラリーだった。ギャラリー設立者のエメ・マーグとその妻マルグリットは、ミロをはじめシャガールカンディンスキーたちと親交が深く、彼らの作品を多く収集し、また若手作家への支援も積極的で、コンテンポラリー・アートを牽引するフランス有数の大画廊として名高い。*1

オフィスに飾られた作品からは、毛並みの良い一流の中の一流のギャラリーが扱うような作品をゲッコーは所有している、というメッセージが込められているように思える。「オレも一流なんだよ」と言いたいような。

これは腐敗のシンボル?

ゲッコーのオフィスの受付に飾ってあったのは、ロバート・バーメリンの《20ドル紙幣》。彼自身のホームページで作品画像とともにShown in the film "Wall Street"とクレジットされている。

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《The Twenty Dollar Bill》Acrylic on canvas, 72 in x 108 in, 1985 http://robertbirmelin.com/004.html

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バーメリンの絵を見て脳裏に浮かぶのは、和田邦坊による風刺画だ。第1次世界大戦時に造船・海運業で成功し、船成金と呼ばれた山本唯三郎にまつわる逸話を元にしたもので、小・中学校の社会科の授業資料でご覧になった方も多いだろう。

函館の料亭で遊んだ山本が帰途につく際、玄関で靴を履こうとしたところ、足元が暗くてよく見えない。

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仲居が「お靴がわからないわ」と困っている。そこで、懐から百円札を取り出し火をつけて足元を照らし「どうだ、明るくなったろう」と得意になっている場面だという。

事の真偽のほどはともかくとして、20ドル紙幣に火をつけているバーメリンの絵は和田邦坊の風刺画と重なって見えてしまう。《ウォール街》では、バドがゲッコーと接触するために彼の誕生日にキューバ製葉巻をもってオフィスを訪れるシーンで、バーメリンの絵の前を通るところがアップで映る。紙幣を燃やして葉巻に火を点ける、という連想が起こるという仕掛けだ。

アメリカでそういう仕掛は通じないが、ニューヨーク・タイムズはこの絵に関して、The painting was used in the 1987 film "Wall Street" in the outer office of Gordon Gekko, fictional symbol of Wall Street corruption and destruction(この絵は、1987年の映画《ウォール街》のゴードン・ゲッコーのオフィスの外壁に飾られ、ウォール街の腐敗と破壊の架空のシンボルで使われた)と見解を述べている。*2

誰しも思うことに大きな違いはない。オフィスの中に飾られたピカソやミロの絵、外に掛けられたバーメリンの絵を通して、制作サイドはゲッコーという人物を描き出そうとしている。どうやらその意図は成功したようだ。*3

ゲッコーのビーチハウスに飾られた現代アート作品

ピカソもミロも素晴らしいが注目すべきは現代作家の作品だ。ニューヨーク・タイムズ紙が「最新のホイットニー・ビエンナーレから選ばれたような品揃え」と論じたように、当時を代表する作家の作品が登場する。*4

バドはゲッコーのビーチハウスに頼まれた内部情報を届けに行く。バドを来客に紹介するシーンでその壁に掛かっているのはジム・ダインだろう。

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この映画で提供されている作品はギャラリー所有なので、作品の情報を確認するのが困難だが、他のジム・ダイン作品と作風を比較すると間違いのないところだ。

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一瞬しか映らないがドナルド・サルタンの《ブラック・レモン》が飾られていたり、ジョン・チェンバレンのオブジェが壁にかかっていたり、ゲッコーの別荘はさながら現代アート・ギャラリーの趣がある。

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チェンバレンは1950年代から活躍している抽象表現主義の作家。廃車のパーツを使った彩り豊かなオブジェは、アメリカの消費文化を表現したものとして評価が高い。

彼らがアートに何を求め、アートをどのように思っていたのかを表している印象的なシーンがある。バドがダリアンをナンパするシーンだ。バドは絵を見ているダリアンに話しかける。

バド   この絵をどう思う

ダリアン 純粋で汚れがないわ

バド   (苦笑)数1000ドルをドブに捨てたね

ダリアン 40万で買ったのよ(冷笑)

バド   ジーザス!ビーチハウスが買える

ダリアン そこらの大衆的な海水浴場ならね(鼻で笑う)こっちなら5番街のマンションが買えるけど。

バドはこんなものとけなすとダリアンは「ゲッコーは一流の美術収集家よ。最高のものしか買わない」と返す。

この二人の会話を聞いて違和感を禁じ得なかった。これがアート作品を見ての会話だろうか。作品に対する自分の思いや感じ方には触れず、「ビーチハウスが買える」だの「5番街の方のマンションが買える」だの、一流の美術収集家が聞いてあきれる。彼らはアート作品を投資の対象としかみていない。ダリアンのいう「最高のもの」って、価格的に価値があるものという程度のものだ。

そういえば映画《ハーブ&ドロシー》は普通の公務員夫婦が趣味でアート作品を収集する話だったが、その最初のコレクションがチェンバレンだった。ゲッコーも買っているがその動機は雲泥の差だ。

楽屋落ちのオークション

ゲッコーの信頼を得て彼の代理人になったバドはダリアンとの約束通りイースト・サイドの高級マンションに引っ越す。ふたりが結ばれた翌日、ゲッコーと一緒にオークション会場にいたのはダリアンだった。彼女はゲッコーの愛人だったのだ。

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オークションでゲッコーが210万ドルで落札したのは、リチャード・L・フェイゲン・ギャラリーが提供したジェイムズ・ローゼンクイストの作品だ。ローゼンクイストはアンディ・ウォーホルやロイ・リキテンスタインと同じくアメリカの60年代ポップアートを代表する作家である。

しかもフェイゲンはローゼンクイストとともに、ゲッコーを相手にその作品を競るビッダーを演じているのだから笑える。

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左がフェイゲン、右がローゼンクイスト

しかもフェイゲンはローゼンクイストとともに、ゲッコーを相手にその作品を競るビッダーを演じているのだから笑える。つまりこれは楽屋落ちの趣向で洒落で作った場面ということ。

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しかもオークション台に立っているのはクリストファー・バージ。彼はのちにクリスティーズの終生名誉会長となるオークション界のカリスマだ。世界最高のオークショニアとはクリスのこと。2012年5月に行われた引退前の最後のオークションでマーク・ロスコの作品が当時の世界最高額を付けたのは、作品の価値だけではなく彼へのリスペクトも含まれていたのだろう。*5

クリスは、例えば安田火災(当時)がゴッホの「ひまわり」を買った時や斎藤了英がゴッホの《ドクター・ガシェ》を買った時にも立ち会った人物であり、まさにオークション界の生ける歴史といえる。

一方、バドの新居を覗いてみると、こちらは現代作家の作品に溢れている。とりわけ印象的なのはルーカス・サマラスの作品。ルーカス・サマラスは1936年生まれのギリシャアメリカ人作家。

海外の映画ブログではよくバスキアの作品と勘違いして紹介されているが、作品はペイス・ギャラリーが提供したサマラスの作品で、2006年5月11日のサザビーズ・オークションで落札されている。

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ザ・コレクターズThe Collectors)》 39 1/4 x 123 3/4インチ(99.7 x 314.3 cm), oil on canvas mounted on board, in 5 parts、1985  https://www.invaluable.com/auction-lot/lucas-samaras-596-c-lzcp0z5yqi#

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バドの家にはキース・ヘリングのオブジェも飾ってあった。

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バドの家の入口左に掛かっているのがキース・ヘリングの作品、右に掛かっているのがサマラスの作品

シュナーベルの作品が意味するもの

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ようやくゴードンに利用されていることに気付いたバドはゴードンの企みを阻止するとダリアンに告げるが、ダリアンは反発する。

「ゴードンを敵に回すならお別れよ」とバドに告げる。

バドとダリアンが口論の末、別れるシーンでダリアンが見ているのはジュリアン・シュナーベルの作品。*6

特に印象的なシーンがある。

日の出前、ゲッコーはバドに電話する。寝ぼけた声で電話を取るバドにゲッコーは告げる。「金は眠らない」と。この映画を象徴する有名な台詞だ。バドに激を飛ばしたあと、陽が昇りはじめ、ゲッコーはつぶやく。「どんな絵もこの瞬間の海の美しさは描ききれない」

とても不思議なシーンだ。《ウォール街》は理詰めでストーリーを展開し、アート作品を比喩的に使って印象を深める手堅い演出の映画だが、この感傷的なシーンを挟んだ意図はどこにあるのだろう。

金のことしか考えないゲッコーにも、自然への憧憬や畏怖を感じる心があるとでも言いたかったのだろうか。

このシーンのラストカットは海辺に佇むゲッコーの姿をカメラを引いて捉えている。このシーンの色合いと構図は、まるでフリードリヒの《海辺の僧》ではないか。

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カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ《海辺の僧(Monk by the Sea)》 (1808–10)アルテ国立美術館

様々なアート作品を小道具にして作品に深みを生み出している映画の作風を考えると、偶然のカットとは思えない。

陸があり、海があり、その海が水平線で空になっていくシンプルな構図。しかし自然のすべてを表している構図。その自然の中に佇む僧侶の姿は孤独そのものだ。このカットはゲッコーをその僧侶に擬えて捉えているように思えてならない。

金と権力を握ったウォール街に君臨するゲッコーが垣間見せた心の隙と孤独。ストーリー展開では見せないゲッコーの姿が映し出されている。アートの引喩によって。

*1:ミロたちは1946年に創刊した美術雑誌『デリエール・ル・ミロワール』の表紙を版画で作成している。『マーグ画廊と20世紀の画家たち―美術雑誌『デリエール・ル・ミロワール』を中心に』西洋美術館2018年2月24日(土)~2018年5月27日(日)また横浜美術館でも1994年に『20世紀美術への眼差し ―マーグ・コレクション―展』を企画、開催している。

*2:IVANA EDWARDSNOV 1991年の記事。デジタル化されたニューヨーク・タイムズのプリントアーカイブより。https://www.nytimes.com/1991/11/17/nyregion/exploring-new-dimensions-in-realm-of-the-coin.html?pagewanted=all

*3:

ゲッコーへのプレゼントがキューバ製葉巻というのも腐敗のシンボルになっている。キューバ危機以降、アメリカはキューバに対して経済制裁を続けていて、葉巻の持ち込みが完全解除されたのはつい最近(2016年)のことで、販売は現在でも禁止されているのだから、これはアメリカの人ならすぐに分かる仕掛けだろう。

*4:(ダグラス.C.マギルの記事 1987年12月 25日)https://www.nytimes.com/1987/12/25/arts/art-people.html

*5:この日のトップ・ロットはロスコの「Orange, Red, Yellow」で8688万2500ドル(約69億5000万円)

*6:シュナーベルは新表現主義の代表作家であり、親交のあったジャン・ミシェル・バスキアの伝記映画《バスキア》(1996)の監督でもある。女優のステラ・シュナーベルは実娘。)シュナーベルの絵は割れた皿をキャンバスに貼り付け、そこに女性を描いたもので、まさにひび割れたふたりの関係やダリアンの砕けた心を表している。とてもわかり易い引喩だ。

海辺のゲッコー

ウォール街》ではたくさんのアート作品が登場し、効果的に使われている。

80年代は、アート市場が急成長した時期だった。まるで株式市場のようにアートが投資や投機の対象になった。アートにこれまでにないような多くの資金が注がれ始めた。アート作品が商品になった時代であり、《ウォール街》にアートが氾濫しているのにも理由があったのだ。((映画の制作デザイナーであるステファン・ヘンドリックソンは、ホイットニー・ビエンナーレを実際に訪れ、映画のために絵画を借りるためにニューヨークのアートギャラリーを訪ね回ったという。

エンパイア・オブ・ザ・ウルフL'empire des loups (2005)

ローマ教皇と切り刻まれた惨殺死体の奇妙な関係

ちょっと待って、さっきのは誰?

アンナ(アーリー・ジョヴァー)は顔の認知に関する深刻な悩みを抱えていた。専門医を訪れ、MRIに頭を突っ込み検査を受けたが、色の認知や形の認知は問題ない。記憶についても主要国の首都名は覚えている。認知能力と単純な記憶力は正常だ。

顔写真を見てそれが誰かを答える検査になった。毛沢東ケネディチェ・ゲバラ、しかし次の写真が誰なのか、どうしても思い出せない。アンナは焦る。知っている顔なのに!パスして次の写真に進めようとする医師を遮って、「ちょっと待って、さっきのは誰?」とアンナは叫ぶ。医師は困惑した表情でアンナに告げた。「ローランだよ、君の夫の」

監督       クリス・ナオン

原作・脚本 ジャン=クリストフ・グランジェ「狼の帝国」

出演 :ジャン・レノ(ジャン=ルイ・シフェール)、アーリー・ジョヴァー(アンナ・エメ)、ジョスラン・キヴラン(ポール・ネルトー)

 病院の待合室に飾ってはいけない絵

女性の惨殺死体が発見された。これで3人目だ。顔は切り刻まれて誰だか身元が分からない。拷問されて付いた傷のようだ。さらにネズミを使った拷問。陰部から子宮まで内側から噛みちぎられている。足の骨が砕かれているのはファラカというトルコ式拷問の特徴だとパリ警察の刑事ジャン=ルイ・シフェールは呟く。

唇は裂け、目は跡形もなく顔全体が切り刻まれ分断されている。このイメージが映画の謎を解くキーになっていることに、このあとすぐに気づかされる。

ケネディ毛沢東の顔は分かるが、自分の夫の顔が分からない。親しい知人の顔が突然認識できなくなる相貌失認という脳障害があるが、アンナの場合はどうもそうではなさそうだ。モナリザの画像を見て「ラ・ジョコンド」と答えられる。モナリザの顔ですら見分けられるというのに。自分の精神がおかしくなったのだろうか。

思い余ったアンナは精神科医マチルド・ウラノ(ラウラ・モランテ)を訪れる。ウラノは成功した医者なのだろう、バカラのショップなどが並ぶ高級な通りに医院を構えている。

待合室に入ったアンナは椅子に座り、絵に気づく。目の前に鏡があり、アンナの真上にある絵と椅子に座ったアンナが映っている。座っている椅子は絵のなかのローマ教皇の椅子とよく似ている。

待合室の壁に掛かっているのはフランシス・ベーコンの『ベラスケスによるインノケンティウス10世の肖像画後の習作』(1953年)。

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上 左がフランシス・ベーコンの『ベラスケスによるインノケンティウス10世の肖像画後の習作』(1953年) 右が鏡に写った同作品

ベーコンの絵は恐ろしい、縦のストロークで顔が切り刻まれているようにも見える。アンナはおびえる。なんといってもその絵の下に同じような椅子に座らされているのだから。

しかも映画の観客は、鏡に映ったアンナとその絵をアンナの視点から見せられ、いやが上にもアンナの気持ちと同化させられる仕組みだ。

でもなぜベーコンのこの絵が使われているのだろう。ショッキングな絵面は映画に登場した女性の惨殺死体を連想させ、アンナが手に取った「整形外科」の本には、顔を刻まれた図版が満載だ。またアンナの精神的な怯えを描くだけでなく、アンナの記憶喪失につながるこの映画の重要な伏線にもなっている。

アンナは夫が整形手術した可能性を聞くが、ウラノは一笑に付す。しかし気になるのか形成外科の本を手に取り、顔の手術の写真を見る。そして寝ている夫の頭部に手術跡がないかを探る。しかしそこには何もなかった。

ベッドを離れシャワーを浴びているアンナの脳裏に突然、顔を刻まれた教皇の絵が浮かび上がる。啓示を受けたように鏡で自分の頭部の髪の生え際や耳の後ろを見ると、そこには手術跡があった。顔を変えられたのは自分の方だったのだ!

ベーコン絡みでよくできたエピソードだ。ウラノの医院で医学書を手に取ったことがきっかけとなり、アンナは自分が整形され記憶も奪われている事実に辿り着く。ベーコンは1935年にパリの古書店医学書を購入し、医学への関心を深めている。とりわけ口腔に関する病気や治療に関することに興味を抱いていた。アンナもベーコンと同様に医学書を手に取り、ベーコンの絵が啓示となって真相を知る。《エンパイア・オブ・ザ・ウルフ》とベーコンの関連を探るために、まずベーコンの生い立ちを辿ってみよう。

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右のベーコンの絵は左のベラスケス『教皇インノケンティウス10世の肖像』(1650年、ドーリア・パンフィーリ画廊蔵)に基づいている。

 女装趣味のあるゲイとして生きる

 1909年にアイルランドのダブリンで生まれたベーコンは、思春期に多くの犠牲者を出したアイルランド独立戦争を経験している。英国に渡ってからは第一時世界大戦も第二次世界大戦も経験した。多感であったベーコンの人格形成に戦争という暴力は大きな影響を与えたに違いない。

同名の哲学者であるフランシス・ベーコンは遠縁にあたる。ベーコンはゲイであり女装趣味があったが、それは厳格な軍人であった父親を困惑させていた。ある日、ついに母親の下着を身に着けている現場を見つかり勘当されてしまう。ベーコンはロンドンに渡り男娼となって生計をたてる。勘当したもののベーコンの行く末を心配した両親は、母方の親戚で叔父にあたる競走馬ブリーダーのハーコート・スミスをベーコンのもとに送る。

ところがあろうことか、この叔父はバイセクシャルでベーコンと深い関係になってしまうのだ。ミイラ盗りがミイラになったような事態に両親の無念も極まった。

二人は仲良くベルリンへ旅行する。ところが、このベルリン旅行がベーコンにとって重大な転機になろうとは! 

ベーコンはベルリンの映画館でセルゲイ・エイゼンシュテインの映画『戦艦ポチョムキン』(1925年)を観てしまったのだ

 エイゼンシュテイン戦艦ポチョムキン》との出会い

 ベーコンはセルゲイ・エイゼンシュテインの映画《戦艦ポチョムキン》の中の、有名なオデッサの階段の虐殺シーンに衝撃を受けた。そして鼻眼鏡をかけた叫ぶ乳母から叫ぶ教皇のイメージをインスパイアされた。『戦艦ポチョムキン』のスチール写真と『叫ぶ教皇』を比較してみよう。ベーコンが『戦艦ポチョムキン』を引用したのは明らかだろう。

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上左 『戦艦ポチョムキンオデッサの階段の虐殺シーン セルゲイ・エイゼンシュテイン監督 1925年

上右 フランシス・ベーコン『叫ぶ教皇の頭部のための習作』 1962年 縦49.5×横39.4センチ 油彩・キャンバス イエール・ブリティッシュ・アート・センター蔵

物的証拠もある。ベーコンの死後、アトリエの資料はダブリン市のヒユー・レーン美術館に収蔵されたが、調査の結果、『戦艦ポチョムキン』のスチール写真が掲載された雑誌の切り抜きが見つかったのだ。 

「つまり…わたしのすべてが嘘だったの」 

記憶と顔を奪われたアンナに女医マチルドは力を貸す。なにか手がかりが体内に残っているはずだ。血液を調べてみると、放射性物質が多量に含まれていることがわかったが、爪の色に気づいた医師が爪に付着した色素を調べ、トルコ中部に生息するヘンナの染料であることを突きとめた。医師は言う。「マダム。あなたは前世でトルコ人だった」

 

最初の殺人が起こったとき、警察が不法移民を手引きする組織を捜査し、ひとりの移民女性を連れて行った。顔写真をモンタージュするとアンナの顔が現れた。その女性こそアンナだったのだ。アンナは顔を整形され、元の人格を消された。まるでベーコンが教皇の顔を切り刻み教皇としての人格を消したように。

テロ対策部隊の隊長であるフィリップ・シャルリエ警視(パトリック・フラールシェン)は、9.11以後、テロリストの記憶を操作し、スパイに仕立てる作戦を開始していた。アンナは新しい人格を作る実験台だったのだ。

「つまり…わたしのすべてが嘘だったの」 

「アンナのままでいたかったわ」 

惨殺された3人は、灰色の狼(ボスクルト)という極右組織がアンナを捜す際の犠牲者だった。

それを知ってすべての謎が解けた。

灰色の狼と言えば、ローマ教皇暗殺未遂事件を起こした組織ではないか!1981年にローマ教皇ヨハネ・パウロ2世バチカンのサン・ピエトロ広場で銃撃した人物メフメト・アリ・アジャは灰色の狼の一員だった。 

映画に登場するローマ教皇の絵の作者ベーコンにとってアイルランドに生まれたことが不運だった。同性愛を認めないローマン・カトリック信者が9割近いアイルランドは、ゲイであり女装趣味をもつベーコンが住みやすい国ではなかった。               ローマ教皇を執拗に切り刻んだり(教皇が口を開けて叫ぶ絵のシリーズは45点以上といわれている)、悪夢のようなキリスト磔刑図を描いたりしたのは宗教と無関係ではないだろう。

そのことがこの映画となんの関係があるのか。ずっと燻っていた疑問が、殺人は灰色の狼による犯罪だったということで氷解した。顔を刻まれ叫ぶ教皇の絵はこの映画の背後でサブリミナル効果のように見え隠れしている。 

記憶を元に戻す処置をおこない、アンナは自分の正体を知った。内務省の高級官僚の妻などではなくテロリストとして育てられた自分に。マチルドに「どう思った?」と聞かれてアンナは答える。

「アンナのままでいたかったわ」 

 

(補説)ベーコンを引用する映画

 映画《エイリアン》での造形デザインで有名なH・R・ギーガーがベーコンのこの絵からインスパイアされたとよく言われるが、確かに似ている。

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上左《キリスト磔刑図を基盤とした3つの人物画の習作(3つの習作)》(1944年)  上右:エイリアンを製作中のギーガー  下:デヴィット・リンチ監督《イレイザー・ヘッド》(1977年)

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デヴィッド・リンチ監督の《イレイザー・ヘッド》(1977年)にもよく似た造形の赤ん坊が登場するが、やはり似ている。                          ロマン・ポランスキー監督の《ポランスキーの欲望の館》では、部屋にベーコンの絵が飾られていたし、ベルナルド・ベルトルッチ監督の《ラストタンゴ・イン・パリ》(1972)でもタイトルバックにベーコンの絵が登場する。1964年に制作された《ルシアン・フロイドとフランク・アウエルバッハの二重肖像》の左半分ルシアン・フロイドの方を使用している。

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キャンバスに油彩 各パネル:65 x 56 3/8インチ(165 x 145 cm)ストックホルム近代美術館蔵

タイトルバック後半に使用されているのは、《イザベラ・ロウストホーネの肖像画》でやはり1964年に制作された作品。アーチストでありセットデザイナーであるイザベラ・ロウストホーネはヘンリエッタ・モラリスとともにベーコンにとって最も親しい女性だった。

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スタディ・フォア・ポートレート(ISABEL RAWSTHORNE)1964年 キャンバスに油彩 78 x 58インチ(198 x 147.5 cm)個人蔵

修道士とダニエル・クレイグが絡むベーコンの映画 

デレク・ジャコビがベーコンを演じ、その愛人であるジョージ・ダイアーをダニエル・クレイグが演じるという悪夢のような映画がある。ジョン・メイブリーが監督した《愛の悪魔/フランシス・ベイコンの歪んだ肖像》という映画だけど、この邦題は酷い。原題は《Love Is the Devil: Study for a Portrait of Francis Bacon》でどこにも「歪んだ」などと入っていない。ゲイに対する偏見があるのだろうか。

デレク・ジャコビはテレビドラマ《修道士カドフェル》で修道士を演じ高い評価を得ていたわけで、そんな俳優が筋骨たくましいダニエル・クレイグと絡むというのは、見てはならない修道士の秘密を覗き見するようで、別の意味で背徳的な感じがする。

 

参考

キティ・ハウザー「僕はベーコン (芸術家たちの素顔)」、パイインターナショナル、2014年

http://francis-bacon.com/

「狼の帝国」 ジャン=クリストフ・グランジェ 高岡真訳 創元推理文庫

 

(おまけ)

アンナはフォーブル=サン=トノレ通りにあるチョコレートショップに勤めている。原作では「店全体が、まるで大きなチョコレートの箱だ」と形容されている店で、近くにはティーショップの《マリアージュ・フレール》やレストラン《ラ・マレ》がある。