映画とアートの意外な関係 NEW

PICTURES IN MOTION PICTURES

ウォール街》(原題:Wall Street)1987年

ウォール街のカリスマ投資家はオフィスにピカソとミロを飾る。

f:id:duchamp1:20190327144439p:plain監督:オリバー・ストーン
脚本:オリバー・ストーン、スタンリー・ワイザー
出演:マイケル・ダグラス(ゴードン・ゲッコー)、チャーリー・シーン(バド・フォ
   ックス)、マーティン・シーン(カール・フォックス)、ダリル・ハンナ(ダイ
   アン・テイラー)
音楽:スチュアート・コープランド

 

1985年、プラザ合意後の不況に沈むニューヨーク。ジャクソン・スタイナム社の新米証券マンのバド(チャーリー・シーン)は、ウォール街のカリスマ投資家ゴードン・ゲッコー(マイケル・ダグラス)と取引をするのが夢だった。まんまとゲッコーに取り入り、違法なインサイダー取引で信頼と大金を勝ち取っていくが…。

映画公開の2ヶ月前、のちにブラック・マンデーと称されるニューヨーク証券取引所の株価大暴落があり、世界中が恐慌の恐怖に陥っていた時期にこの映画は公開されている。シェークスピア劇のように名台詞が頻出する映画だが、“Greed is good ”(強欲は善なり)は世相を反映した言葉として特に有名な台詞になった。

インサイダー取引に株価の操作、巨額の資金を使った金融ゲームと化した株式取引の世界の実態を描いた映画として《ウォール街》は評価されているが、80年代はアート市場が成長しアート作品が商品になった時代でもあり、実際《ウォール街》にはさまざまなアート作品が登場する。 

ゲッコーもバドも虚富を得た投資家たちはアート作品を買い求め自室に飾っている。それはなぜなのか、そしてどんな作品を?

アートは富の象徴?

ゲッコーのオフィスにはミロとピカソの作品が並んで掛けられている。冒頭の写真のゲッコーの左に見えるのがミロ、右がピカソの作品だ。誰もが知っている美術史上のビッグネームだから、富の象徴としてひじょうに分かりやすい。「金は儲けたり失うものではない。手から手へ渡るだけだ。手品のように」この絵を前に、バドに向かってゲッコーは言った。そして、10年前に6万ドルで買った絵画だとミロの絵を指しながらゲッコーはこう言う。

「今日売れば60万ドル。手品が現実に変わった!」

Gordon: This painting here. I bought it ten years ago for $60 000. I could sell it today for $600 000. The illusion has become real….

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(左)ジョアン・ミロ《Paysage》1974, oil on canvas, 84 5/8 x 68 1/8 in. (215 x 173 cm.)データはCHRISTIE’Sのサイトより (右)パブロ・ピカソ《Personnage》1970 ヤマザキマザック美術館蔵

ピカソ作品を映画の小道具として提供したニューヨーク5番街のフィンドレー・ギャラリー(FINDLAY GALLERIES)は1870年に設立、実にメトロポリタン美術館ボストン美術館の開館と同年に設立された老舗中の老舗ギャラリーである。

作品《マタドール(Personnage)》はその後売却され、今はどこが所蔵しているかと言うと、なんと名古屋市にあるヤマザキマザック美術館だという。映画の公開後に購入されたことは間違いないのだが、創業者の山崎照幸は《ウォール街》をご覧になり、ゲッコーの姿に成功者としての自分を重ねたのだろうか。

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写真は https://ameblo.jp/dream-reiko/entry-10945346630.html

一方、ミロの作品を提供したペイス・ギャラリーも世界有数のギャラリーで、現オーナーのマーク・グリムシャーは2012年にフォーブスが発表した「最も影響力のあるアート・ディーラー」でトップ3に選ばれている。

1985年当時に、ゲッコーはこのミロの作品を60万ドルで売れると豪語したが、実際には2001年6月25日にロンドンでクリスティーズのオークションにかかり、355,750英ポンドで落札されている。映画は現実になったのだ。

 このオークション時、ミロの作品の出所はパリに本拠をもつマーグ・ギャラリーだった。ギャラリー設立者のエメ・マーグとその妻マルグリットは、ミロをはじめシャガールカンディンスキーたちと親交が深く、彼らの作品を多く収集し、また若手作家への支援も積極的で、コンテンポラリー・アートを牽引するフランス有数の大画廊として名高い。*1

オフィスに飾られた作品からは、毛並みの良い一流の中の一流のギャラリーが扱うような作品をゲッコーは所有している、というメッセージが込められているように思える。「オレも一流なんだよ」と言いたいような。

これは腐敗のシンボル?

ゲッコーのオフィスの受付に飾ってあったのは、ロバート・バーメリンの《20ドル紙幣》。彼自身のホームページで作品画像とともにShown in the film "Wall Street"とクレジットされている。

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《The Twenty Dollar Bill》Acrylic on canvas, 72 in x 108 in, 1985 http://robertbirmelin.com/004.html

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バーメリンの絵を見て脳裏に浮かぶのは、和田邦坊による風刺画だ。第1次世界大戦時に造船・海運業で成功し、船成金と呼ばれた山本唯三郎にまつわる逸話を元にしたもので、小・中学校の社会科の授業資料でご覧になった方も多いだろう。

函館の料亭で遊んだ山本が帰途につく際、玄関で靴を履こうとしたところ、足元が暗くてよく見えない。

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仲居が「お靴がわからないわ」と困っている。そこで、懐から百円札を取り出し火をつけて足元を照らし「どうだ、明るくなったろう」と得意になっている場面だという。

事の真偽のほどはともかくとして、20ドル紙幣に火をつけているバーメリンの絵は和田邦坊の風刺画と重なって見えてしまう。《ウォール街》では、バドがゲッコーと接触するために彼の誕生日にキューバ製葉巻をもってオフィスを訪れるシーンで、バーメリンの絵の前を通るところがアップで映る。紙幣を燃やして葉巻に火を点ける、という連想が起こるという仕掛けだ。

アメリカでそういう仕掛は通じないが、ニューヨーク・タイムズはこの絵に関して、The painting was used in the 1987 film "Wall Street" in the outer office of Gordon Gekko, fictional symbol of Wall Street corruption and destruction(この絵は、1987年の映画《ウォール街》のゴードン・ゲッコーのオフィスの外壁に飾られ、ウォール街の腐敗と破壊の架空のシンボルで使われた)と見解を述べている。*2

誰しも思うことに大きな違いはない。オフィスの中に飾られたピカソやミロの絵、外に掛けられたバーメリンの絵を通して、制作サイドはゲッコーという人物を描き出そうとしている。どうやらその意図は成功したようだ。*3

ゲッコーのビーチハウスに飾られた現代アート作品

ピカソもミロも素晴らしいが注目すべきは現代作家の作品だ。ニューヨーク・タイムズ紙が「最新のホイットニー・ビエンナーレから選ばれたような品揃え」と論じたように、当時を代表する作家の作品が登場する。*4

バドはゲッコーのビーチハウスに頼まれた内部情報を届けに行く。バドを来客に紹介するシーンでその壁に掛かっているのはジム・ダインだろう。

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この映画で提供されている作品はギャラリー所有なので、作品の情報を確認するのが困難だが、他のジム・ダイン作品と作風を比較すると間違いのないところだ。

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一瞬しか映らないがドナルド・サルタンの《ブラック・レモン》が飾られていたり、ジョン・チェンバレンのオブジェが壁にかかっていたり、ゲッコーの別荘はさながら現代アート・ギャラリーの趣がある。

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チェンバレンは1950年代から活躍している抽象表現主義の作家。廃車のパーツを使った彩り豊かなオブジェは、アメリカの消費文化を表現したものとして評価が高い。

彼らがアートに何を求め、アートをどのように思っていたのかを表している印象的なシーンがある。バドがダリアンをナンパするシーンだ。バドは絵を見ているダリアンに話しかける。

バド   この絵をどう思う

ダリアン 純粋で汚れがないわ

バド   (苦笑)数1000ドルをドブに捨てたね

ダリアン 40万で買ったのよ(冷笑)

バド   ジーザス!ビーチハウスが買える

ダリアン そこらの大衆的な海水浴場ならね(鼻で笑う)こっちなら5番街のマンションが買えるけど。

バドはこんなものとけなすとダリアンは「ゲッコーは一流の美術収集家よ。最高のものしか買わない」と返す。

この二人の会話を聞いて違和感を禁じ得なかった。これがアート作品を見ての会話だろうか。作品に対する自分の思いや感じ方には触れず、「ビーチハウスが買える」だの「5番街の方のマンションが買える」だの、一流の美術収集家が聞いてあきれる。彼らはアート作品を投資の対象としかみていない。ダリアンのいう「最高のもの」って、価格的に価値があるものという程度のものだ。

そういえば映画《ハーブ&ドロシー》は普通の公務員夫婦が趣味でアート作品を収集する話だったが、その最初のコレクションがチェンバレンだった。ゲッコーも買っているがその動機は雲泥の差だ。

楽屋落ちのオークション

ゲッコーの信頼を得て彼の代理人になったバドはダリアンとの約束通りイースト・サイドの高級マンションに引っ越す。ふたりが結ばれた翌日、ゲッコーと一緒にオークション会場にいたのはダリアンだった。彼女はゲッコーの愛人だったのだ。

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オークションでゲッコーが210万ドルで落札したのは、リチャード・L・フェイゲン・ギャラリーが提供したジェイムズ・ローゼンクイストの作品だ。ローゼンクイストはアンディ・ウォーホルやロイ・リキテンスタインと同じくアメリカの60年代ポップアートを代表する作家である。

しかもフェイゲンはローゼンクイストとともに、ゲッコーを相手にその作品を競るビッダーを演じているのだから笑える。

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左がフェイゲン、右がローゼンクイスト

しかもフェイゲンはローゼンクイストとともに、ゲッコーを相手にその作品を競るビッダーを演じているのだから笑える。つまりこれは楽屋落ちの趣向で洒落で作った場面ということ。

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しかもオークション台に立っているのはクリストファー・バージ。彼はのちにクリスティーズの終生名誉会長となるオークション界のカリスマだ。世界最高のオークショニアとはクリスのこと。2012年5月に行われた引退前の最後のオークションでマーク・ロスコの作品が当時の世界最高額を付けたのは、作品の価値だけではなく彼へのリスペクトも含まれていたのだろう。*5

クリスは、例えば安田火災(当時)がゴッホの「ひまわり」を買った時や斎藤了英がゴッホの《ドクター・ガシェ》を買った時にも立ち会った人物であり、まさにオークション界の生ける歴史といえる。

一方、バドの新居を覗いてみると、こちらは現代作家の作品に溢れている。とりわけ印象的なのはルーカス・サマラスの作品。ルーカス・サマラスは1936年生まれのギリシャアメリカ人作家。

海外の映画ブログではよくバスキアの作品と勘違いして紹介されているが、作品はペイス・ギャラリーが提供したサマラスの作品で、2006年5月11日のサザビーズ・オークションで落札されている。

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ザ・コレクターズThe Collectors)》 39 1/4 x 123 3/4インチ(99.7 x 314.3 cm), oil on canvas mounted on board, in 5 parts、1985  https://www.invaluable.com/auction-lot/lucas-samaras-596-c-lzcp0z5yqi#

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バドの家にはキース・ヘリングのオブジェも飾ってあった。

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バドの家の入口左に掛かっているのがキース・ヘリングの作品、右に掛かっているのがサマラスの作品

シュナーベルの作品が意味するもの

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ようやくゴードンに利用されていることに気付いたバドはゴードンの企みを阻止するとダリアンに告げるが、ダリアンは反発する。

「ゴードンを敵に回すならお別れよ」とバドに告げる。

バドとダリアンが口論の末、別れるシーンでダリアンが見ているのはジュリアン・シュナーベルの作品。*6

特に印象的なシーンがある。

日の出前、ゲッコーはバドに電話する。寝ぼけた声で電話を取るバドにゲッコーは告げる。「金は眠らない」と。この映画を象徴する有名な台詞だ。バドに激を飛ばしたあと、陽が昇りはじめ、ゲッコーはつぶやく。「どんな絵もこの瞬間の海の美しさは描ききれない」

とても不思議なシーンだ。《ウォール街》は理詰めでストーリーを展開し、アート作品を比喩的に使って印象を深める手堅い演出の映画だが、この感傷的なシーンを挟んだ意図はどこにあるのだろう。

金のことしか考えないゲッコーにも、自然への憧憬や畏怖を感じる心があるとでも言いたかったのだろうか。

このシーンのラストカットは海辺に佇むゲッコーの姿をカメラを引いて捉えている。このシーンの色合いと構図は、まるでフリードリヒの《海辺の僧》ではないか。

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カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ《海辺の僧(Monk by the Sea)》 (1808–10)アルテ国立美術館

様々なアート作品を小道具にして作品に深みを生み出している映画の作風を考えると、偶然のカットとは思えない。

陸があり、海があり、その海が水平線で空になっていくシンプルな構図。しかし自然のすべてを表している構図。その自然の中に佇む僧侶の姿は孤独そのものだ。このカットはゲッコーをその僧侶に擬えて捉えているように思えてならない。

金と権力を握ったウォール街に君臨するゲッコーが垣間見せた心の隙と孤独。ストーリー展開では見せないゲッコーの姿が映し出されている。アートの引喩によって。

*1:ミロたちは1946年に創刊した美術雑誌『デリエール・ル・ミロワール』の表紙を版画で作成している。『マーグ画廊と20世紀の画家たち―美術雑誌『デリエール・ル・ミロワール』を中心に』西洋美術館2018年2月24日(土)~2018年5月27日(日)また横浜美術館でも1994年に『20世紀美術への眼差し ―マーグ・コレクション―展』を企画、開催している。

*2:IVANA EDWARDSNOV 1991年の記事。デジタル化されたニューヨーク・タイムズのプリントアーカイブより。https://www.nytimes.com/1991/11/17/nyregion/exploring-new-dimensions-in-realm-of-the-coin.html?pagewanted=all

*3:

ゲッコーへのプレゼントがキューバ製葉巻というのも腐敗のシンボルになっている。キューバ危機以降、アメリカはキューバに対して経済制裁を続けていて、葉巻の持ち込みが完全解除されたのはつい最近(2016年)のことで、販売は現在でも禁止されているのだから、これはアメリカの人ならすぐに分かる仕掛けだろう。

*4:(ダグラス.C.マギルの記事 1987年12月 25日)https://www.nytimes.com/1987/12/25/arts/art-people.html

*5:この日のトップ・ロットはロスコの「Orange, Red, Yellow」で8688万2500ドル(約69億5000万円)

*6:シュナーベルは新表現主義の代表作家であり、親交のあったジャン・ミシェル・バスキアの伝記映画《バスキア》(1996)の監督でもある。女優のステラ・シュナーベルは実娘。)シュナーベルの絵は割れた皿をキャンバスに貼り付け、そこに女性を描いたもので、まさにひび割れたふたりの関係やダリアンの砕けた心を表している。とてもわかり易い引喩だ。

海辺のゲッコー

ウォール街》ではたくさんのアート作品が登場し、効果的に使われている。

80年代は、アート市場が急成長した時期だった。まるで株式市場のようにアートが投資や投機の対象になった。アートにこれまでにないような多くの資金が注がれ始めた。アート作品が商品になった時代であり、《ウォール街》にアートが氾濫しているのにも理由があったのだ。((映画の制作デザイナーであるステファン・ヘンドリックソンは、ホイットニー・ビエンナーレを実際に訪れ、映画のために絵画を借りるためにニューヨークのアートギャラリーを訪ね回ったという。