映画とアートの意外な関係 NEW

PICTURES IN MOTION PICTURES

殺しのドレス(Dressed to Kill)1980年 PART2

全部ディアナが見ていた

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ディアナ像が結節点であった理由を掘り下げてみよう

内弁慶という言葉があるように、外面(そとづら)と内面が違うひとが世の中にはいる。

社会的には穏やかな紳士とみなされている男が家庭では暴君であったり、清楚な顔立ちの淑女が実は淫乱だったりするのは珍しいことではない。程度の差はあれ、だれにでも内と外の違いはあるだろう。《殺しのドレス》はそうした人の二面性を柱にしたミステリーを描いている。

映画の中で、外はメトロポリタン美術館、中はフィラデルフィア美術館、つまり内と外が違う美術館はまさに二面性のメタファーになっていて、ディアナ像はその結節点としての役割を与えられていた。

ここでひとつ疑問が起こる。

なぜディアナ像でなければいけなかったのか。

もちろん、ディアナ像が両方の美術館に展示されていること、つまり内と外を結ぶ結節点であることは大きな理由だが、もっと大きな理由がある。

そもそもディアナとは?

そもそもディアナは処女神であり貞節の神でもある。と同時に、自身の裸体を見たアクタイオンに犬をけしかけて殺してしまう残酷さも秘めている。ティツィアーノクラナッハ(父)は、沐浴しているディアナの裸体を見てしまったアクタイオンが雄鹿に化身させられ、殺される悲劇的なシーンを描いている。つまりディアナ自身がそもそも貞節と残酷性という二面性をもった存在であることを、まず頭に入れておこう。

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(左)ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《ディアナとアクタイオン》185✕202cm 1556年から1559年 カンバスに油彩 ナショナル・ギャラリー(ロンドン)

(右)ルーカス・クラナッハ《ディアナとアクタイオン》50✕73cm 板に油彩 1518年 ワズワース・アテネウム美術館

二人の猟色家を手玉に取ったファム・ファタル

ディアナ像が目撃した事件とは、世紀の犯罪として今も語り継がれる「スタンフォード・ホワイト殺人事件」である。事件の登場人物は建築家のスタンフォード・ホワイト(Stanford White, 1853-1906)、モデルのイヴリン・ネズビット(Evelyn Nesbit, 1884-1967) 、大富豪のハリー・ソウ(Harry Thaw, 1871-1947)の三人。

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photograph of White by George Cox, ca. 1892

スタンフォード・ホワイトは19世紀アメリカを代表する建築家。ニューヨークやワシントンの公共建築を多く手がけ、セオドア・ルーズベルト大統領の椅子を設計したりもした。2017年、彼が設計した豪邸をビヨンセとジェイ・Jが購入したことで再びその名前が世間を賑わしている。

ホワイトは歴史に名を残す建築家であり当時から著名であったが、一方で好色で女性に目がなく、女優や芸術家をめざす若い女性たちを次々と喰い物にしていた。そのなかにイヴリン・ネズビット(Evelyn Nesbit, 1884-1967)がいた。

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ネズビットは当時ニューヨークで最も話題になったモデルであり、ミュージカル『フロラドーラ』のコーラスガールに抜擢されたことがきっかけとなり、その可憐な顔つきや清楚なイメージで人気を得た。写真(1901年に撮影)からも見て取れるように、118年前とは思えない現代的な顔立ちの美少女だった。

ハーパーズ・バザー誌やヴァニティ・フェア誌の表紙を飾り、コカ・コーラプルデンシャル生命保険などのイメージガールを務めたネズビットは最初期のピンナップ・ガールだった。後年ルーシー・M・モンゴメリが『赤毛のアン』(1908)を執筆するときにネズビットをアンの容貌のモデルにしたことはよく知られている。

ネズビットが16歳、ホワイトが47歳のときに二人は出会う。1901年のことだった。ホワイトとの出会いは、運命的なものだったのかもしれない。ホワイトと付かず離れずの関係にあった1903年、ネズビットは大富豪ハリー・ソウに見初められ、1905年に結婚するが、ソウは妻と以前関係があったこの建築家に恨みを持つようになる。

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ハリー・ソウも一筋縄ではいかない男だった。父は鉄道・石炭成金で男爵、その資産を引き継いだドラ息子である。少々精神的に異常があり、映画《マジック・クリスチャン》(1969)でピーター・セラーズが演じたグランド卿のように、金に明かして常識はずれな悪ふざけを実際に行っていたとんでもない人物だ。さらに、少女を鞭打つ趣味をもち、200人以上の10代の少女を売春宿で鞭打ったとされる病的な性的嗜好の持ち主でもあった。

そして運命の日が訪れる。

1906年6月25日の夜、「Mam'zelle Champagne」の初演オープニングナイトに社交界の名士がマディソン・スクエア・ガーデンの屋上劇場に集まっていた。もちろんペントハウスに居を構えているホワイトも顔を出していた。ソウはスタンフォード・ホワイトに近づき、彼の頭を撃ち抜いた。ホワイトはテーブルに前のめりになったが、ソウは続けて2発を打ち込んだ。

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事件を報道する当時の新聞記事。

この事件は全米を震撼させた。何百人もの目撃者の前で起こった銃による殺人。しかも犯人は大富豪である。

「富める者は長い間、正義と高いモラルの体現者と見なされてきた。…しかし「ホワイト殺人事件」のスキャンダルがこのイメージを一変させてしまった」とJ・R・ナッシュは『運命の殺人者たち』の中で、富裕階級に対する幻滅が生じたことを指摘している。のちに報道機関は「世紀の試練」と呼ぶようになった。

映画になった殺人事件

スタンフォード・ホワイト殺人事件は古典的な三角関係のもつれによる情痴事件として、しかもミュージカル上演中に観客の目前で起こった殺人というドラマ性によって全米で大きな話題となった。その美貌から当時人気絶頂の女優をめぐっての、鉄道成金の放蕩息子と高名で社交界の人気者だが好色な建築家の争い、と役者も揃っている。大衆が喜ぶ格好のネタとして映画界が放っておくわけがない。

1955年にリチャード・フライシャー監督によって《夢去りぬ(原題:The Girl in the Red Velvet Swing)》が、1981年にミロス・フォアマン監督*1によって《ラグタイム(原題:Ragtime)》が、そして2007年にはクロード・シャブロル監督による翻案ドラマ《引き裂かれた女(原題:La Fille coupée en deux)》が、まるではかったかのように四半世紀ごとにそれぞれ製作・公開されている。

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夢去りぬ》では、ビリー・ワイルダー監督の《失われた週末》(1945)でアカデミー主演男優賞を受賞したレイ・ミランドがホワイト役を演じている。ソウはファーリー・グレンジャー、ネズビットはジョーン・コリンズが演じている。

ネズビット役には当初マリリン・モンローの起用が検討されていたようだが*2、実現していれば映画の話題性や評価も変わったかもしれない。なにしろこの頃のモンローは《帰らざる河》(1954)、《七年目の浮気》(1955)、《バスストップ》(1956)と立て続けに話題作に出演し、全盛期にあったのだから。 

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ラグタイム》はエドガー・ローレンス・ドクトロウの原作をミロス・フォアマン監督が映画化した作品。スタンフォード・ホワイトをノーマン・メイラーが、ソウをロバート・ジョイが、ネズビットはエリザベス・マクガヴァンがそれぞれ演じている。

実際の事件とその後の裁判を骨子に物語は進むが、ディアナ像の作者がホワイト自身であったり、ディアナのモデルがネズビットであったりと史実の改変がある。この改変は、艶めかしいディアナ像のモデルをネズビットだとすることで、彼女と結婚したソウを怒らせ、殺意を抱かせるためのシナリオ上の工夫であり、創作以外の何物でもないが、映画が真実だと勘違いしているひとも多いことだろう。

しかし、いかにホワイトと親密であったとしても、ネズビットがモデルのポーズをとることは不可能だった。1891年に最初のディアナ像が完成したとき、ネズビットはわずか6歳か7歳だったのだから。フォアマンの《ラグタイム》は評判を呼び、第54回アカデミー賞では8部門で候補に挙がったが、残念ながら無冠に終わった。

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《引き裂かれた女》ではホワイトをモデルにしたプレイボーイの作家シャルルにフランソワ・ベルレアン*3、ネズビットに対応するお天気キャスターのガブリエルにリュディヴィーヌ・サニエ、ソウに対応する大富豪の放蕩息子にはブノワ・マジメルが演じている。

マジメルが演じた放蕩息子の名前はポール・ゴーデンス(Paul André Claude Gaudens)で、この名前はディアナ像の作者であるオーガストス・セント=ゴーデンス(Augustus Saint-Gaudens)の名前から来ているのは間違いない。史実を知っているひとはニヤリとするか、もしくは混乱するだろう。

ディアナのモデルは誰か?

ディアナ像の話題に戻ろう。ネズビットをモデルとした映画の設定もあったが、実際のディアナ像のモデルは二人いる。ひとりはボディのモデルで1890年代を代表するアーチスト・モデルであるジュリア・ベアードJulia "Dudie" Baird(1872-1932)。当時17歳だったジュリアは完全なプロポーションの持ち主で、まさに女神にふさわしい肢体だった。

彼女はアメリカ美術におけるトーナリズムを代表する画家としてホイッスラーと並び称されるトマス・デューイング(1851〜1938)や、アレクサンドラ・カバネルに師事した画家ケニオン・コックス (1856~1919)、さらにはアルフォンス・ミュシャ(1860~1939)のモデルをしていた。

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トマス・デューイング《Portrait in Blue(Julia Baird)》1896年フリーアギャラリー

残念ながら彼女のヌードを描いた絵画や写真はないが、早世したアメリ印象派の画家デニス・ミラー・バンカーが、その死の直前に描いた「鏡を見る女性」の絵からは、ジュリアの均整の取れた肢体をうかがい知ることができる。フィラデルフィア美術館のディアナ像と比べてみると、その見事さを感じ取れるだろう。 

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              Dennis Miller Bunker《The Mirror》1890年

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もうひとりは顔のモデルで、セント=ゴーデンスのお気に入りのモデルの1人であり彼の愛人でもあったダビダ・ジョンソン・クラーク。彼女をモデルにした頭像とディアナ像の顔を比べてみるとなるほどと肯ける。

全部ディアナが見ていた

ディアナ自身が貞節と残酷性の二面性をもった存在だが、そのディアナが見たのはネズビットをめぐってのホワイトとソウの愛憎の果ての殺人事件だった。まさに貞節と残酷性のドラマがディアナの真下で行われたのである。

興味深いことに、神話によるとディアナを祀る神官は決闘によって決まる。前任の神官を倒した者が新しい神官を引き継ぐしきたりがある。これもまたホワイトとソウの争いを暗示している。ソウはホワイトを殺してネズビットを祀る神官になったのだ!

そう考えれば、ディアナ像のモデルをネズビットに設定した《ラグタイム》は、まことに事件の本質を突いた映画だったといえるだろう。

*1:カッコーの巣の上で》(1975)と《アマデウス》(1984)で2度アカデミー賞監督賞を受賞した

*2:https://www.imdb.com/title/tt0048119/trivia

*3:オリヴィエ・マルシャル監督の《パリ、憎しみという名の罠(原題:Carbone)》(2017)で主演。この邦題は《あるいは裏切りという名の犬(原題:36 Quai des Orfèvres)》(2004)以来のマルシャル監督作品に付けられるちょっとキザな邦題の伝統を引く。